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タケモトピアノが新CMって本当?元祖CM出演・財津一郎のプロフも紹介

タケモトピアノが新CMって本当?元祖CM出演・財津一郎のプロフも紹介

財津一郎さんが出演、特徴的なCMソングでも愛されたタケモトピアノのCM。長年同じCMが放送され続けましたが、この度新CMへと切り替わったそうです。

今回はタケモトピアノの新CM、そして財津一郎さんのプロフィールなどについて紹介します。

タケモトピアノの新CMが放送開始

2024年8月よりタケモトピアノ の新CMが放送開始されました。広大な自然をバックに、これまでのCMでお馴染みだったダンサーが踊り舞うというCMになっています。お馴染みのCMソングもそのまま使用されていますよ。

この新CMは「タケモトピアノAI篇」という名称で、実写とAIを融合させた映像になっているとのこと。確かにこの映像をロケで撮ろうとするとかなり大変そうです。

タケモトピアノのCMの歴史

大阪府堺市堺区に本社を置く中古ピアノの買取や販売を行う企業であるタケモトピアノ。1997年よりCMを製作、放送しており、2000年から皆さんお馴染みのCMが放送開始されました。財津一郎さんのバックでダンサーが踊るタケモトピアノの代名詞とも言えるあのCMは、2000年から2023年まで放送が続いていました。

長らく同じCMが放送され続けていたものの、財津一郎さんはタケモトピアノとの契約を一年単位で毎年更新しており、2023年8月に契約を終了。2023年10月に財津一郎さんが亡くなり、2023年11月から2024年7月まではナレーションベースの別のCMが放送されていました。

創業者が財津一郎のファンだった

タケモトピアノの創業者である竹本功一さんが財津一郎さんの大ファンだったため、財津一郎さんはタケモトピアノの最初のCMから出演していました。タケモトピアノのCMの有名フレーズ「ピアノ売ってちょうだい」などは、財津一郎さんの持ちネタがベースとなっており、まさしくタケモトピアノの名を世間に広める立役者となったのが財津一郎さん。2024年の新CMの際にも、タケモトピアノは「長年愛されてきた財津一郎さんへの経緯を込めて」と公式サイトに記しています。

20年以上愛され続けたタケモトピアノのCMが最新AI技術と融合して進化!ダンサー(ピアノの妖精)が大自然に飛び出して「ピアノ売ってちょーだい!」 | タケモトピアノ株式会社のプレスリリース (prtimes.jp)

財津一郎のプロフィール

  • 名前:財津一郎(ざいついちろう)
  • 生年月日:1934年2月22日
  • 没年齢:89歳
  • 出生地:熊本県熊本市

1953年に帝劇ミュージカルの研究生となった財津一郎さんは、1955年に「財津肇メ」の芸名で石井均一座に入門し、新宿の劇団「ムーラン」の舞台に立ちました。しかしムーランは数年後に解散、財津一郎さんは1962年に吉本興業に入り、1964年には吉本新喜劇に参加しましたよ。「ヒッジョーにキビシ~ッ!」「~してちょうだい!」といったフレーズが人気を博し、1965年には吉本新喜劇の座長に就任。1969年に吉本興業を退社し、活動拠点を東京に移しましたよ。

1984年に日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞

吉本あがりということもあり、東京進出当初はコミカルな芝居に出演することが多かった財津一郎さんですが、1981年の「連合艦隊」では神風特別攻撃隊に志願した青年の父親でもある海軍兵曹長の役を演じるなど、徐々にシリアスな役柄も演じるように。様々な役をこなせるオールラウンダーとして活躍しました。1984年に公開された映画「お葬式」では日本アカデミー賞優秀助演男優賞に輝きましたよ。

病に苦しむ時期も

1995年、61歳の時に脳内出血を発症、開頭手術を行い左半身に軽い麻痺が残った財津一郎さん。その時はリハビリの甲斐もあり3ヶ月後にドラマの仕事に復帰しましたが、2019年に「脳出血など病気もやったこと、家内の具合が悪いことなどあり仕事はすべて断っている」と、後の人生にも影響を与えていたことが窺えます。

2010年公開の映画「ふたたび swing me again」に主演した際にも体力的な不安があったとしており、自身最後の役者としての出演は2011年の「3年B組金八先生ファイナル」でした。

最後に

今回はタケモトピアノの新CMや財津一郎さんのプロフィールについて紹介しました。多くの人に長年にわたり愛された財津一郎さん。これからもタケモトピアノのCMと共に、人々の記憶に残り続けるのでしょう。